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怖いお師匠様と優しいお師匠様
私には生涯尊敬するお師匠様と呼んだ(実際に呼んでいた)人が2人います。
一人は祖父の徹禅無形大師というお坊さんです。もう一人は 大和龍門師匠です。
祖父は一生涯禅に生き抜いたお坊さんで、禅に生き抜く為の道場を長野に開き(お寺と呼ばない座禅道場)禅の修行と指導を生涯全うしました。
私も小さい頃から、道場に連れて行かれ、座禅、読経、をさせられていました。そう自らしていたのではなくさせられていたんですが。。
おじいちゃんのところに遊び行けるなんて孫としたら楽しいはずですが、私達は違いました、おじいちゃんと呼んではいけなく、御老子様、もしくはおじいちゃまと呼ばなければいけなかったのです。
優しい笑顔と怖い(ぎろっと睨む目が)が同居し、まともに話すことができないくらい、遠い、尊い人でした。
ある時、座禅をさせれている時、 足が痛くて立ち上がりたくてしょうがない限界に来た時、周りの人が立ち上がったので、今だと、立ち上がって足を休め、又座る、一度立つと次はもっと間隔が短くなり、我慢ができなくなってしまい、何度も何度も立ち上げっていました。。
そんな時、お師匠様の大きな声で 喝!、 足が痛くても死なない、しんぼうして座りぬけ、そう言われたら立てません、今まで痛かった足も我慢をしないといけません。あれ、我慢できてるじゃないか。
限界は限りなく先にある
そう、限界はまだまだ先にあったのに、自分がココまでと思った時に限界が来るんでしょうね。
昔、父親が、病気で、死ぬ間際に、もう我慢しなくていいよって、言ったら息が止まりました、もしかしたら死ぬ瞬間も自分で決められるんだなって(あと数秒とか、)
今でも自分の限界が来そうになると、もうだめっていうときはあのときの喝を思い出します。あ、まだ行けるって!
柳のように
風が吹いても柳のようにしなやかにいきぬけ、
「人生は柳のようであれ」
長い人生、嵐も起こり、、倒れそうな強い風が吹きすさぶ。
人生どんな状況がくるかわかりません、、
大木のように真っ向から強風を受けて立つのではなく柳のように、しなやかに耐え抜けば、やがて、青く晴れ渡る。
そして座禅のときの足が痛くても死なない、焦らない、限界はまだまだ先にあるって。宇宙と一体になるんだって^^
気持ちよくて限界が来ない?
もうひとりの師匠がいます、大和龍門、師匠と呼んでいました。
ひょんなきっかけで、芸能関係の方から、居合を一緒にやらないって?って誘われ、始めた居合道、そこに居たのは、無双庵館長こそ、大和龍門 師匠。
仕事が終わって夜7時過ぎ、へとへとになってから居合のお稽古が始まります。かなりきつかったけど、師匠の前では弱音は吐けない。
冬の公園で、裸になって刀を振り(木刀ですが)気合で公園を走り抜ける、トラックのタイヤを引っ張りながら走る、木に向かって投げの稽古、手裏剣、居合道、、冬の寒空、身体からは湯気が出て来ます。
心も、体も折れそうですが、師匠から「気持ちいいだろう」って言われると、はい、気持ち良いです!って答えていました。 からだは限界に疲れて、もうだめってくらい、へとへとになっても、すごい気持ちよくて限界が来ないんです。
気合ってすごいです。
後に、師匠は、あの伝説の番組、ガチンコで、不良達の師匠になってました。
こうやって今でも、好きなことだけ、限界を超えて楽しんでます。これも道場で鍛えていただいた、師匠達のおかげです。
私も美容道場で、日々精進しています。