海外 オーストラリアで美容室をやりたい。

 

こう考えだしたのはいつ頃だろう。

頭の中で夢を描いたのは10年以上も前の事だろうと思う。ビジョンがないのでボヤーと思い浮かべているだけ。

それが現実に動くまでには結構時間はかかっている。

なんでも直ぐに結果を出したいと思う事はうまくいかないし、そんなに本気ではないし、必要なものはやはりしっかり時間は掛かっている。

動き出したら止まらない

 

よしやろう!資金は私が用意しようと。恩師が海外進出資金を出してくれることになりました。

何かが叶う時は自分だけの力ではなく必ず誰かの力も働いているんです。

こうして初めての海外進出、パースというところ。

美容室を開業に必要な事、免許はどうすんだ?全くわからない事だらけで誰に相談したら良いのかチンプンカンプン。

調べるしかない

片っ端から聞きまくりましたが色々な人がいろいろな事を言う!?

例えば美容師免許

調べても調べてもオーストラリアは美容免許はいらないと言われる?

でもパースの美容師は免許を持っている?

おかしい、弁護士も免許入らないと言う(パース以外の弁護士)に調べてもらったらなんと、最後の1行に記載があったと言う。

 

パース市内半径100km以内免許が必要だと。

 

選んだ場所だけ免許がいる。他の州は免許制度は廃止をしてるに、同じ国なのに州によって何故違うのか??

そんなことを考えてる暇はない、免許がなければ働くことが出来ない。

早速英語で教科書の暗記がスタート。所変わっても美容の内容はさほど違わないがなんせ英語なのでしかもだいぶ前に勉強したことだし本当にへこんだ。

スタッフももちろん勉強して試験に受かってもらわないとなりません。

学科試験もだが実地試験もある。どんなことをやってどんな査定なのか?試験監督をやる美容師を紹介してもらい傾向と対策を聞いたり久しぶりに勉強をし、夢でうなされる毎日だった。

結果は見事に全員受かりましたけど、ワーホリビザで働いてもらうスタッフはこの試験を受けて免許とったら数ヶ月後にはここでは働けないって!?なんだろうって感じでした。

こんな事をしながらも数年後、免許制度は廃止!になりました。ある意味貴重な時期にこう言う体験をさせていただいたのはありがといと言っておこう。

 

仕事はと言うと日本での丁寧な仕事を基本にやる事で現地の方にも認めてもらう事が出来、リピートも増え始めた。

日本の当たり前は世界の当たり前では無い 事をわかると結構もうちょっと力抜いていいんじゃない!って感じに変わります。

見えない細かいところまでをやって100点評価をする考えは世界の評価は違うのかも。

それでも細やかな気遣いとか目に見えないところまでやると言う志は捨てずにやっていこうと思っています。

 

自分はと言うとお店の管理ををしながら技術者でもあり、日本のお店もやらないといけない。

現地のお店を任せる人が大事だが、その当時はコンセプトもはっきりしてないお店だったのでスタッフは大変だったと思う。

何をやるにもどう言うことをしたいのかをしっかり決める事が大事なんですね。

日本からのスタッフも短い期間でみんな英語の筆記試験と実技試験をパスして本当に優秀だったと思います。

 

飛行機恐怖症の克服法

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日本のお店で待っていてくれていたお客様、オーストラリアで待っていてくれたお客様2ヶ月ごとに2週間滞在して仕事をし、また帰るという生活が始まった。

始めの頃は飛行機で行ったり来たり、マイルも貯まればビジネスに乗ったり、とても楽しい行ったり来たりだったがそのうち飛行機のストレスで閉所恐怖症を招き、

飛行機にのるのがとても恐怖で乘るたびに心臓が飛び出すぐらいのストレスになるほどになっていた。

この飛行機恐怖症は今でも完全に克服は出来ていないが、自分なりの克服法を見出してはいる。

1,絶対座席は一番後ろ通路側、トイレの近くを確保。

2,左手薬指のマッサージで緊張をほぐす。(左手の薬指が重要、左は心臓と繋がる神経が通っていたり、指の両側面には自律神経の働きをコントロールする三焦経のツボがあります。)

3, ノイズキャンセリングヘッドホンで自分の世界に入り込む。

4、水を飲みまくる(飲みすぎるとトイレに行きたくなるので絶対座席はトイレの直ぐ側)

この4つをおまじないのように飛行機にのる時はルーティン化しておくと結構落ち着いていられる。

座席が取れなかったり、席が満席だったりしたらそれは地獄の始まりになってしまう。

最近は、ほぼ自分の周りの席は空席になり、ゆったり時間を過ごせる事が続いてるのは偶然だろうか?!

 

片道切符の覚悟を決める

 

日本の店も完全に自分がいなくなってはお見せはうまくいくのだろうか?恩師に相談すると一度合わせたいほとがいると、あるところへ連れて行かれました。

そこであった人物から、先のことを考えたりしていたら何も出来ない、後ろを見ないで帰りの船は焼き捨ててとにかく行けと。

片道切符で行ってから考えろって言われ、ちょっと待ってなさいとその方は裏へ行かれ、戻って来て渡された 数字が記載してるある価値ある紙 、これでオーストラリアに行ってこいって。

またしても誰かの力を頂き自分が動ける事になった。

 

バカになるくらい一生懸命やると損をするって言う人もいるけどそんなことはない。

 

一生懸命やったからこそこれだけ誰かの力が借りる事が出来る。

 

こうやって日本のお見せを店長に任せ、オーストラリへ移住することを決めました。

こうやって話すと良いことだらけですが、ちょうど同じ頃、母親の病気が悪化していく事やその介護を父親に任せて異国へ旅立ってしまうバカ息子の事も又の機会に話す事にしましょう。

続く

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